排他的な意見を聴いて「ざわざわ」する人。
ここ最近、色々な方と話をしていて、「フェイスブックはやめた」と言う若い方が結構いることに気づきます。
私はもともとあまりSNSが好きではないのですが、特にフェイスブックは、それをビジネスツールに使うとしたら、若い人は確実に望めないと思った方が良い。と考えています。
フェイスブックで見かける投稿の中で結構多いのが「排他的」投稿です。排他的にも2種類あって、気を付けなくてはいけないのが「一見排他的ではない投稿」です。これは、別に特定の人にマイナスな意見を言っているように見えないのだけど、遠回しに「こちらが言っていることが正しい」という投稿を繰り返している人です。これは、書いている本人は気づいてません。
と言うのも、若い方の多くは「まるハラ」に代表されるように、相手の出方をかなり慎重にみる傾向がありますので、こちら側が気づかいをして「友好的に」ふるまっていかないと不安に感じてしまいます。これは、長年日本が「効率」を重視してきた結果でもあるのは?と感じています。
若い方がマニュアルなどを作成すると、びっくりするぐらいにシンプルでわかりやすく、かつ、「コツを抑えている」という事が見られます。賢いです。私は自分の年齢をあんまり意識していないので、あつかましく、若い方とも仲良くしたいと考えています。
さて、タイトルにある「排他的な意見を聞いて思う所がある人」と言うのは、どういう事かと言いますと、先ほど別のブログで、このような記事を書きました。
例えば、FBなどで排他的な投稿を見かけた時に「自分の事かもしれない」と思って、コメントでかみついたりする方がいて、投稿主が「被害妄想がすごい」などと詰ったとします。
確かに一理ありますが、ただ、排他的な投稿を見た時に「不安をあおられるような気持ち」になるのだとしたら、それはご本人には「合わない」もの、として、ご自身が楽しい、夢中になれる。と思える、人、事、もの、に時間とお金をかけた方が良いと思います。
お仕事の形は色々ありますが、「これをやらないなんてダメだ」とか、「これを知らないなんてかわいそう」とか、「健康のためにお金をかけないなんて、ありえない」という様な、一部の不安があおられるような思いがあったら、立ち止まった方が良いです。「自分てやっぱりだめなのかな?」とか、「健康にお金がかけられないなんて、自分の考えは浅はかなのかな?」「痩せられない自分はダメなのかな?」と思う思考になっていたら、よっぽど不健康だと思います。ですので、ご自身が楽しいと思う物、心が動くものを探して、触れることが大切だと思います。私も民間のカウンセラーの資格を取得しましたが、どうも私にとって活用が難しかったです。根本が「頑張りたい人」なので、傾聴は出来ても、傾聴の先のアドバイスが、「頑張るしかないよね」になってしまいそうだったので、仕事にするのを辞めました。
「ずっとそのままで良いと思います。」と肯定することは大切だと思うのですが、仕事が無理なら、転職をするか、休むか。と選択肢はおのずと決まってくるので、環境を変えるのも、変えないのも、結局は自分の意志によるところになってしまいます。私のような人間は、「変えたい人が変えるし、変えない人は変わらない」と思っていますので、おのずと周りに集まってくる方は、「面白い事が好き」「楽しい気持ちになりたい」「でも昨日より成長したい」と言う方が多くなってくるので、自然と皆さん、前向きになっていかれます。
ある意味私はとてもドライな所があります。ですから、最終的に「私が生徒さんの道を切り開いているのではなく、生徒さんが私との会話の中で鏡の自分をみて、おひとりで成長している」と感じているのです。これが一番言いたいことです。